オレ節生活

気の向くまま、思いつくまま

松竹座・十月花形歌舞伎(その1)

『通し狂言 染模様恩愛御書〜細川の男敵討』(2006.10.21&10.22)
ハイっ!前述通り、行って来ました、観て来ました!!21日(土)夜の部を3階席、22日(日)は昼の部・1等席と連日工程。そりゃ遠征一度ならば2回拝見せねば!引きで1回、近くで1回。理想的ですな(笑)。以下、二日まとめて縦横無尽、ネタバレもちろん、話は飛ぶわ・火の粉は舞うわ(?)の気分次第の感想レポ、綴ってみましょぅ〜♪
21日の土曜、遅いお昼に本場大阪お好み焼きを食し、煙くさーい染ファン3人が、高鳴る胸を押さえ3階席にたどり着いたのは、5分前の鐘が鳴り終ってしばらく経ってから。どーしてオンナ同士ってお喋りに夢中になるのでしょう(笑)?普段、舞台写真を買わない私(買い出すと止まらなくなるから!)に、染友が誕生日祝いとしてプレゼントしてくれるという思いがけない喜び!から松竹座紀行始まり。ありがとう、友よ!選んだ写真はもちろん火だるま悶絶姿です。……何か間違ってる?(笑)。
そうそう、前日に泊まらせて貰った友達宅でも、思いもよらず誕生日ケーキを振る舞われたよ!生クリームのホールケーキなんて凄い久しぶり!ちゃんと名前入り"Happy Birthday"のプレートも乗ってて、ロウソクまで付いてた!え、本数?…お答えできません........うそ。「素晴らしい30代」ということで3本にしたそうです。オレ達ゃ花の30代〜〜♪♪うう、こんなとこまで気を遣って貰って(笑)、サンキュー!オレ、いい友達持ってるよ!
おっ、早速余談に逸れてしまった。では、簡単な筋をば。
秋元但馬守の家臣・大川友右衛門(染五郎)は、参詣に訪れた浅草寺伝法院の杜若咲き誇る庭で、熊本・細川越中守の美しいお小姓・印南数馬(愛之助)に一目惚れ。数馬恋しさに、たった一人の妹と武士の身分を振り捨て、細川家に中間として奉公することに。想いを知った数馬はそれに応えるべく自室へ友右衛門を呼び、二人は衆道の契りを結ぶ。その後、数馬には横山図書(猿弥)という父の敵があることを打ち明けられた友右衛門は、兄弟の義を結び、敵討ちの助力を約束。ところがこの様子を、かねてから数馬を慕っていた腰元・あざみ(春猿)が窺ってい、主君・細川越中守(段治郎)へ注進。二人は御前に引き立てられ、あわや絶体絶命。と思いきや、庇い合う二人の心根に感銘を受けた越中守は、二人を許し、さらに友右衛門を士分に取り立てる。(いいのかよぉ、越中守ぃぃ〜(笑)!)友右衛門はいずれこの恩に報いようと決心するのでした....。
"あらすじ"っちゅーか、一部概要、みたいだな。まぁ、二人の登場まではまだしばしの猶予が。まずは事の発端から……
幕が上がると、「染模様恩愛御書」と書かれた内幕、紫の照明が怪しげで、早くもワクワク。そこへセリ上がりで講談師・旭堂南左衛門さんが登場。今回の案内役/ストーリーテラーですね。講談師さんのお陰で、初心者の方には分かりやすく、歌舞伎慣れした方には新鮮な演出として楽しめたでしょう。特に火事場では盛り上げ役の一端を担ってますし。素晴らしいね!講談の入る歌舞伎って他にあるんでしょか?まさかね…
因みにこちらの講談師さん、夜は「天満天神・繁昌亭」に出演されていたそうで。後で附け打ちさんブログで知りました。う〜、講釈と落語の違い、聞いてみたかったよー。惜しいことした(涙)。
講談師さんは背景を説明して引っ込み、いよいよ幕が落とされる。うん、上手い導入ですな〜。さてここは祭礼に沸く会津城下の料理茶屋。初っぱな、もうちょっと華やさが欲しいとこだけど多くは望まないさ。少人数構成だったし、返って良くやった(色んな意味で)!と褒めときましょ(笑)。舞台セットは片側に階段を多用したシンプルな木目調2階建て風。盆が回ると、これが一室になったり、浅草寺境内になったり、料理茶屋になったり。どっかで見た感じ、と思ったら、一昨年観た獅童くんの『丹下左膳』風かな。あれは4面だったけど。そして今回の方がよりシンプルなのに多能的で、転換もスムーズでした。
おっと、セットさておき、芝居、芝居。しばらくは、横山図書が後々印南数馬の敵となる顛末が描かれる。事の起こりは大切だし、きちんと作られているのだけど…ちょっと気が緩みました。(染ちゃんがなかなか出て来ないから(笑)?)特に1回目・3階から観た時は危なかったよ。ふ〜。腕は立つし人品怪しからぬ図書だが、いささか短慮で派手好き、とは講談師さんの説明(だよね?)。その通りに、悪徳同僚四人衆の口車に乗せられて、意に染まらぬ病弱な美しい妻・いよ(芝のぶちゃん)を手討ちに。そこへたまたま居合わせた印南十内(薪車さん)も"間男"に仕立てて殺害。この間の悪ーい時に十内が図書邸にやって来たのは、疱瘡を患っている息子(名前、なんていったっけ?のちの数馬)のために為朝の御守り(お札?)を貰いに、ってんだから妙な因縁よのぅ。
ちょっと余談(またかよ!)。鎮西為朝と言えば、我が故郷にも通ずる、歌舞伎を見るきっかけともなった(初歌舞伎は『椿説弓張月』)奇縁ある人物!調べてみたら、為朝は疱瘡除神なんですね。八丈島にやって来た疱瘡神を追い返したとか…いう言い伝えがあるらしいです。為朝は伊豆大島に島流しにあった後も暴れ(笑)、朝廷軍に追討されますが、八丈島へ渡りさらに沖縄へ流れ着いたという説が『椿説弓張月』の元になっている訳ですな。こんな、本筋と関係ない細かいとこが気になるのも、奇縁ゆえか…。ちなみに、1回目見た時は、ん?為朝って言った?ぐらいでしたが、2回目は図書@猿弥さん「箱根に参りし折に八丈より伝わりし鎮西八郎為朝の…」おぉ、言っとる!とちゃんと聞き取りました。....ハイ、長々余談失礼しました。

(あまりにも長くなってしまったので、「その2」に続きます…)